コストカットを打ち出すことのメッセージの弱さについて

コストカットを前面に押し出した経営は、無能をさらけ出しているのと変わらない。

以下のことは段階を踏んでしっかりと説明しないと、まったく意味がないように思う。

  1. 何を実現したいのか?
  2. そのためにいくら必要なのか?
  3. 実現するためにどこを削るのか?

コストカットはあくまで手段で、それが目的化してしまったら何の意味もない。

無駄の削減なんていうのは、誰もが思いつくもっとも手っ取り早い方法なのだ。

 

まずはこれからの方向性を示して、そのために必要なお金を徹底的に算段する。

もしそれが実現したときに、どんな素晴らしいことが待っているのか…。

未来に起こりうる理想を語って、みんなが思い描けるよう必死に解いていく。

 

特に日本人は、節約とか無駄の削減を洗い出す人が、すごく好きという人が多い。

スーパーの安売りとか、お得な商品を見つける、などは、国民性なのかもしれない。

逆に理想を語るとか、まだこの世にないサービスを創造する、そんな面が非常に弱い。

だからこそ、さらに理想を追求していくことが、求められているような気がしている。

 

コストカットを打ち出した経営は、もはや経営とすら呼べない気がしている。

緩急を付けること、強みと弱みを明確にすること、他社との差別化ポイント…。

どんなに難しい言葉を滔々の述べたところで、結局はそれに尽きると思うのだ。

 

コストカットはできるだけ語らない…、表に出ないところで淡々とやっていく…。

それこそがもっともやるべきこと!なんて思うことが多い今日のこの頃です。

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