コストカットを前面に押し出した経営は、無能をさらけ出しているのと変わらない。
以下のことは段階を踏んでしっかりと説明しないと、まったく意味がないように思う。
- 何を実現したいのか?
- そのためにいくら必要なのか?
- 実現するためにどこを削るのか?
コストカットはあくまで手段で、それが目的化してしまったら何の意味もない。
無駄の削減なんていうのは、誰もが思いつくもっとも手っ取り早い方法なのだ。
まずはこれからの方向性を示して、そのために必要なお金を徹底的に算段する。
もしそれが実現したときに、どんな素晴らしいことが待っているのか…。
未来に起こりうる理想を語って、みんなが思い描けるよう必死に解いていく。
特に日本人は、節約とか無駄の削減を洗い出す人が、すごく好きという人が多い。
スーパーの安売りとか、お得な商品を見つける、などは、国民性なのかもしれない。
逆に理想を語るとか、まだこの世にないサービスを創造する、そんな面が非常に弱い。
だからこそ、さらに理想を追求していくことが、求められているような気がしている。
コストカットを打ち出した経営は、もはや経営とすら呼べない気がしている。
緩急を付けること、強みと弱みを明確にすること、他社との差別化ポイント…。
どんなに難しい言葉を滔々の述べたところで、結局はそれに尽きると思うのだ。
コストカットはできるだけ語らない…、表に出ないところで淡々とやっていく…。
それこそがもっともやるべきこと!なんて思うことが多い今日のこの頃です。