自分の判断で考えられる人はいないのか?という考察について

スタイリッシュな作品というのはあまり好きではない。

ブログに関しても、上手さが前面に出ている記事は、冷めた目で見てしまう。

どちらかと言えば不器用だけど、謎の中毒性、説明しがたい熱を感じるもの…。

そういった記事の方に、たまらなく惹かれてしまう性分なのである。

 

映画に関して言うと、ある1本の映画がとても参考になる。

 

1995年に発表した『アンダーグラウンド』という映画がある。

旧ユーゴスラビア出身のエミール・クストリッツァ監督の作品である。

カンヌ映画祭の最高賞である、パルム・ドールを受賞した作品だ。

謎の熱狂に満ちていて、全編を通じてとにかくテンションが高い。

 

お祭り騒ぎ、どんちゃん騒ぎ、とにかくすべてが弾けまくっている。

そういった映画の方に、たまらなく魅力を感じたりするのだ。

 

ほかにも、思い浮かぶ作品はたくさんある。

半沢直樹は全編を通じて、とにかくテンションの高さが売りの1つである。

大和田常務、黒崎検査官、それはまさに、キャラ祭りの様相を呈している。

 

楳図かずのの漫画も恐怖という感情が大爆発していて、すこぶる気持ちいい。

テクニックはもちろんすごいけれど、それ以上に狂気や熱狂を感じる。

 

ツイッターを見ていると、インフルエンサーの真似事をしている人が多い。

二番煎じ、をやってみたところで、そんなものは何の価値もない。

 

あなたにはあなたの人生があり、それを全力で生きてきたはずである。

それなのにどうして、影響されて真似事のようなことをするようになるのか?

 

自分にはさっぱり理解できなくて、本当に残念な気持ち以外にない。

小手先のテクニックではなく、自分が見たこと感じたことを素直に出せばいい。

 

自分がすごいと思ったものを、素直に応援すれば良いのではないだろうか?

ところが実際は、周りが良いと言っているから、惹かれている人があまりに多すぎる。

 

それは自分の判断ではなく、周りに流されているだけ、のように思えてくる。

インフルエンサーのツイートに相槌で答えているのは、信者みたいに見えるのだ。

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